不死鳥の涙 ーリック・シンプソン物語ー 第17章
第十七章 アムステルダムとカナビスカップ
スコットと私の旅はさながら『東海道中膝栗毛』のようだった。可笑しなことが沢山あったが、その皮切りはエスカレーターだった。スコットにとってエスカレーターは全く新しい経験で、彼の反応はかなり面白かった。我々の地域では、エスカレーターは一般的でない、都会や空港に行かなければ、そのような装置が動いているのを実際見ることはできないのだ。まあ、だから当然と言えば当然なのだ。
我々は自分達が、見知らぬ土地に冒険に行く、ただの田舎者二人組であることを思い知った。私は少し前にヨーロッパに行ったことがあったから、「ヨーロッパ旅行の大家」だったが、正直な所アムステルダムについては、ほぼ何も知らなかった。我々にとってカナビスカップは雑誌の中の出来事だったので、そこに本当にいるということが想像できなかった。アムステルダムに到着すると、我々の旅のスポンサーであるグリーンハウスシード社のオーナー、アーリアン・ロスカムが空港で出迎えてくれた。彼の車に乗り込むや否や、彼にどこで私の治療薬が手に入るか尋ねた。それに対し彼は「オイルはここでは違法なんだ」と答えた。私は驚いて言った「何で違法なんだ?ここはアムステルダムだろ。この世のどこかでオイルが手に入るとしたら、ここがそのはずじゃないか。」アーリアンは私の発言に笑っていたが、質問に対する彼の反応から、高品質オイルを見つけるのは不可能なのだと理解した。
アーリアンは私とスコットを彼のコーヒーショップの一つに隣接する小奇麗なアパートに連れて行った。我々は続く数日間ここに滞在することになっていた。彼の気配りは素晴らしい。我々がいつでも大麻とハシシを法定範囲内の量で持っていられるよう手配してくれた。到着後、彼は私をグリーンハウスシード社の倉庫に連れて行き、中を見せて回り、そこで働くスタッフに紹介した。彼は非常によく組織化された事業を経営していて、このベンチャービジネスで大成功を収めている理由がすぐ分かった。アーリアンと彼の取り巻き達は、かなり面白い人達で、皆で一緒に働き『ストレインハンターズ(品種の狩人)』というシリーズを製作している。彼らは各地を旅し、大麻の原種を探しに行き、時には絶滅したと考えられている種類を発見したことさえあると、私は教えられた。彼らが制作しているドキュメンタリーのカメラワークは比類無いものだし、私の記憶では、ナショナルジオグラフィックで特集を組まれ放送されたはずだ。
到着の翌日、アーリアンとフランコはスコットと私をスクーターの後ろに乗せ、アムステルダム市街を見せて回った。アーリアンによればスクーターは都市を移動する最速の乗り物だとのことだったが、確かに嘘ではなかった。我々は自動車や群衆、自転車の群の間を、首がもげてしまう程の速度で、縫うように走り抜けた。アムステルダムを最初に見て回る方法としては〝身の毛もよだつ〟乗り物であることは間違いない。アーリアンとフランコはどちらも腕っ扱きのライダーで、どうやったのか二台がはぐれることはなかった。勿論誰も怪我はなかった。私は大型バイクにずっと乗ってきたし、それをとても安全な物だと思っているが、スクーターに関しては同じように感じられない。確かに小さくて可愛げな乗り物で、安価な足ではあるが、なぜこれを作っている会社は、もっと大きな車輪を取り付けないのだろうか。その方が安全に操作できると思うのだが。
この都市は私とスコットにとって本当に良い勉強になった。我々はかなりの時間迷子になって過ごした。我々にとって幸運だったのは、宿泊していたアパートが、かの有名な「飾り窓」地帯に非常に近かったことだ。迷子になった時は、誰かにこの有名な地区がどこにあるか聞くだけでいいのだ。このような質問はよく奏功したが、全く見知らぬ人に対してするのは恥ずかしいことで、よく変な顔をされたものだった。飾り窓地帯は私が想像していた通りだった。あられもない格好をした女性が窓の向こうに立っていて、街角になんとも素敵な風情を醸し出している。さらにここには、ステージでセックスを上演する劇場が多数ある。これは私の地元にはまず存在しない。このような事はカナダでは大っぴらにはされていないので、アムステルダムと飾り窓は、スコットにとってかなり衝撃だったようだが、すぐにそれにも慣れてしまった。アムステルダムのこの区域を歩くことは、多くの人にとって本当に目の醒めるような経験だと思う。
しかしながら、どうか私が言っていることで、この美しい都市を誤解しないで頂きたい。アムステルダムは性産業と大っぴらに大麻が吸えるコーヒーショップだけの街ではない。アムステルダムは本当に皆にとって何かがある場所なのだ。物価は少し高く、コーヒーショップを含む公共の場で煙草を吸えないが、それでも訪れる価値のある都市である。
カナビスカップの開会にともない、我々はイベント会場の「パワーゾーン」に向かった。会場は芋洗い状態で、私は今までこんな光景を見たことが無い。そこには大麻に関する全ての物が展示されていた。我々は審査員にされていたが、スコットも私も、ただで好きなだけ大麻が吸えるという以外に、それが本当にどういう意味があるのか分らなかった。しばらくして、我々はThe Temple (神殿)と呼ばれる場所に連れて行かれたが、そこには物凄い数の様々な品種のサンプルがあり、等級を付けられていた。我々は幾つかの種類を試したが、この様な短い時間で、自分が吸った物の品質をとやかく言えるものではない。ある大麻品種のジョイントを吸って、その個性を評価するのには、少なくとも一時間位は必要だと思う。この短時間にこんなに多くの〝試飲〟は、果たしてどうなのだろうか。全く謎である。私には時間が無かったので、この神殿やら審査やらには、あまり関わらなかった。私はカップに講演をしに来たのであって、どれだけ沢山の大麻が吸えるか証明しに来たのではないのだから。
講演を行う前日、イェンツェフとミランがチェコ共和国から到着し、私を喜ばせた。やっと自分が良く知り、信頼を置く人達と合流できたのだ。彼らの存在が私をホッとさせ、待ち受けている使命への緊張を和らげてくれた。
私がカップに参加するためアムステルダムに発つ前、マーク・エメリーのある支持者が連絡を寄越し、講演でマークが直面している法的な困難について訴えてくれないか、と頼んできた。私は彼に「エメリーのどの口がそんなことを言っているのか。まあそれでも、麻の実を売ったかどで、誰も監獄に行くべきで無いのは確かだ」と言い、彼の為に講演でその事に触れると伝えておいた。私が世間に対して、司法システムがマークにしようとしている事を明らかにできれば、彼の状況が改善することは分かる。ジャック・ヘラーのように、私もなぜ人々がこの植物を育て、使ったことで、刑務所に入れられなければならないか理解できない。しかしながら、カップが終わってすぐ、エメリー氏は私の支援に本当に値するのか、疑問に思われるようなことをする。けれどもこれは別の物語、いつかまた、別の時に話すことにしよう。
月曜日の午後7時、私はカップの群衆の前で講演をした。聴衆が私の話に完全に賛同しているようだと知り、気が楽になった。自分の発言を裏付けるための生き証人はいなかったが、参加者のほとんどはこの件に関して既知であったようで、野次やトマトが飛んでくることは無かった。
講演が終わると参加者は皆、催し物が行われている「ミルキーウェイ」という巨大なクラブに向かった。レゲエDJのイエローマンがその夜出演しており、私は個人的に彼に会いたいと思っていた。彼は長い間私のサポーターでいてくれて、彼の努力についても聞き及んでいた。ミルキーウェイは超満員で、群衆の中を通り抜けていくのは、どうやら無理そうだった。爆音で流れる音楽に私の耳はすぐに悲鳴を上げたので、その夜はほぼ外で過ごした。イエローマンには会えなかったが、将来、我々の道は再び交じり合うはずだ。
怪我のせいで既に十分すぎる程、頭の中の騒音と向き合って来たし、この上聴覚まで損ないたくなかった。その夜ミルキーウェイにいた人達が、翌朝起きた時に耳が悪くなっていても不思議はないだろう。
耳鳴りは通常、私が苦しんでいる問題程深刻ではないが、人生を惨めなものにすることは確かだ。私はこの症状を直接治療した経験は無いが、患者からはオイルの適切な使用により、緩和することがあるとの報告を受けていた。この終わりなき雑音に辛抱している人は、まず、少量のヘンプオイルを麻実油または他のキャリアオイルと混ぜ、綿棒につけて、鼓膜に出来るだけ近い所に塗る。私が聞いたところでは、この方法で、雑音は我慢できる程に減るか、消え去ることさえあるという。それでも、オイルは経口摂取の方が、全体的な利益になると私は考えている。そうすることで自分の怪我と向き合うことに、随分助けられて来たからだ。だがこの方法に挑戦しても害悪があるわけではない。
コカインの様なドラッグを乱用して、鼻腔を損傷したような場合もオイルが助けになる。これもまた、単純に綿棒で少量のオイルを就寝前に鼻に塗るだけで、魔法のように効く。この症状の素早い改善は頻繁に起こるものだ。鼻腔が健康を取り戻すとことで、聴覚を正常にする効果もある。それまで苛まされた感染症や不快感とも、おさらばできるだろう。
私が遭遇したアムステルダムで最も危険なものは、自転車だ。どこもそれで一杯なのだ。頑張りすぎて運河に落ちるというのもあるが、自転車はずば抜けて最凶だ。散策に出かける時は絶えず、まるで全方向から突進してくるような、この二輪の機械を避けなければならない。アムステルダムを歩いている時の私は、多くの人の目に首振り人形のように映っただろう。私はしきりに頭を動かして、後から自転車が来ていないか確認していた。この移動形態は後ろから静かに忍び寄って来る。こちらが間違った動きをしようものなら、その日は最悪の一日になること請け合いだ。私はこのタイプの個人の移動手段に大きな敬意を払うが、一度にこんなに大量に使われているのは今まで見たことが無い。
予想通り、メリッサ・ベイリンもカナビスカップに来ており、彼女の両親を紹介された。ご両親はとても良い人達のようだった。私は彼女が持ってくると約束した、チェコツアーの記録映像について訊ねた。彼女は忙しくてそこまで手が回らなかったので、私が望む分を後で送ると言った。私は彼女の提案を受け入れたが、可能な限り早く、記録映像の一部をインターネットに上げる必要がある、と念を押した。彼女は快諾し、アメリカに帰ったら、すぐそれに取り掛かると請け合った。私はカップの後、イェンツェフとミランに付いてチェコ共和国を再訪し、幾つかセミナーをしようと計画していた。もしこの記録映像の幾つかがあれば、私の仕事は断然スムーズに進むだろう。何と言っても、講演者のルミール・ハヌスは、実質的にチェコ共和国の国民的ヒーローなのだ。彼が私の言説に賛同している映像があれば、私がこの薬について言っていることが真実だと、チェコの人々やその政府を説得するのに大きな助けとなるだろう。
11月25日、私はカナダにいる息子から、連邦警察が私の家を再び襲撃した、との連絡を受けた。私は自分の耳が信じられなかった。私が欧州にいる間に私の所有地を襲撃して、一体彼らに何の得があるのだ?マイクは私に連邦警察のアムハースト支部の電話番号をくれたので、私は電話してティム・ハンターを呼び出した。彼はアムハースト警察を去り、連邦警察に職を得ていたのだ。そして、彼こそ今回の襲撃を行った警官の一人だった。私は『Run from the Cure』が公開された直後、個人的にティム・ハンターにDVDを渡していた。彼は私を長年知っていたから、ハンター氏は私が犯罪者ではないことを、十分認識していたはずである。
嫌悪も露わに、私はまくし立てた「ティム、あんた達は自分達がしていることを何と考えているんだ?あんたは何が起こっているのか分ってるはずだ。そして本当は誰を追わなきゃならないかも。」それから、彼らがどんな罪で私を訴追するつもりなのか尋ねたが、彼は答えるのを拒んだ。彼は連邦警察が私と話したがっているとだけ言ったが、過去の経験から、それが正確には何を意味するのか私には分っていた。私はさらに訊いた「ティム、政府がカナダ国民に対して行う犯罪に、なぜ連邦警察は加担するんだ?」これに対して彼は、連邦警察に私の活動について通報があったので行動を起こしたのだ、と答えた。彼の言わんとしている事は完全に荒唐無稽だ。私はずっと自分のしていることを公言してきたのだから。私が思うに、襲撃の指令は上層部から直接来ているはずだった。
もしそうでないなら、なぜ彼らは6月に、私がトム・ヤングのラジオ番組に出演したすぐ後で、家宅捜索を行わなかったのだろうか。またはヘリコプターで飛び回っていた9月の時点で。私の裏庭に夏の間中、大麻が生えていたのは、連邦警察にとっても周知の事実であったはずだ。しかし、彼らは栽培シーズンを通して、私の家に近付かなかったし、連邦警察官の中には私の所に患者を送ってきた者さえいたのだ。9月には私の家を避けるように飛ぶ、彼らのヘリコプターが見えていた。そして今、収穫が終わり、作物が治療薬にされ、患者に配布された後で、彼らは大掛りな家宅捜索を行ったのだ。私がアムステルダムに発ってから、ほぼ一週間も経とうという時に。
私はこの自称警察官から直截な答えを聞くことはできなかったし、私の視点では、彼らに他の動機が無いのであれば、その行いは意味不明だった。最終的に私は我慢の限界に達し、ハンター氏に、彼を言い表すのに、最適な一連の言葉を吐いて通話を終了した。国民を「守り、仕える」などと悪い冗談だ。連邦警察が誰に仕え、誰を守っているかは明らかだ。そしてそれはカナダ国民ではない。挙句の果てに、私と長年の知り合いである地元スプリングヒル警察のケニー・マシューズも襲撃に参加していた。私の家はスプリングヒルからかなり離れた郡にあり、街の警察の管轄外であるはずだ。ではマシューズ捜査官は私の家で何をしていたのだろう。恐らく彼は癌の治癒法を大衆から隠す実働部隊の一人なのだ。そうだとしたら、彼らは良い仕事をしてきたと言える。だが、まずカナダ警察は、自分達が雇っている者達以上の、犯罪者を捕まえられないことに、恥を知るべきだろう。
私が言っていることは少し狂っていると思う人もいるだろう。だが現実に、これが大衆から真実を隠すためのカナダ政府のやり口なのだ。言われた通りの事をし、自分達の望みに応じろ、さもなくば連邦警察を遣わして、やっていることを止めさせる。それが人命救助であろうと。これがあなたに与えられる選択肢である。そして私がカナダに自由を求めても無駄だ、と主張する要因だ。もし警察が公衆の利益を守っているなら、こんな文句は言うまい。だが現実は、製薬会社が作った物を飲み、言われたことをしていなければ、銃とバッチを持った人間が来て、癒しについての常軌を逸した態度を強要される。
今何が起きているのか?なぜ連邦警察は家宅捜索を行ったのか?私は詳細を知らされてはいないが、恐らく私は嵌められたのだ。以前からこの自称警察部隊は、このような事をすることで悪評高い。数年前、西海岸の連邦警察はウェイベル・ルドウィグを陥れようとした。連邦警察はルドウィグ氏が建物を爆発させたと訴えようとしたが、実は連邦警察自身がそれを破壊していたのだ。真実が知れ渡ってからも、連邦警察の腐敗については、ほとんど何もされなかった。私はこの警察権力の正義に幻想を持ってはいない、それを彼らが執行していないことを、既に嫌という程見てきたからだ。もし帰国すれば、連邦警察は良心の呵責なく、私をオイル無しで投獄するだろう。
私は既に2007年、短期間だが獄中で過ごした。そして、オイルが無ければどうなるかも分っている。同じ罪状で訴追されるのは今回で三回目だ。その法律がカナダ政府の腐敗によって施行されているのだとしても、今回、執行猶予は付かずに収監されるだろう。カナダに戻り、オイル無しで囚われるのは私にとって論外だ。それから私は、これがカナダ政府による、私を国外に留めておくための、策略なのではないかと疑い始めた。
長い間、私のしてきたことは政府にとって、喉に刺さった魚の骨だったに違いない。それもかなり大きな。彼らがこれに適切に対処できなければ、事態は悪化する一方だ。最初から、私にはこの薬が世間にどれだけ衝撃を与えるか知っていた。そして真実を知った大勢が激怒するだろうことも。だからトラブルを避けるために、できるだけパンチの衝撃を抑えるのが最善だと考えた。世間にこの治療薬について合理的に知らせるため、政府が私に協力してくれることを望んだが、彼らは正反対の道を選び行動してきた。これにより事情に通じている多くの人にその腐敗が曝露された。
彼らが行動を起こすのを拒み、私を法廷で迫害することにした時、カナダ政府はこのオイルと私がどれだけの〝悪名〟を得るかよく分っていなかったのだろう。それから時間の経過と共に、オイルはどんどんと人々の耳目を集め続けたから、彼らはどうにかして、これを止めようとしているのだ。恐らく彼らは、この家宅捜索の前に、私が欧州を再訪している事実を掴んだ。そして、家宅捜索を行い、罪をでっち上げることで、私を欧州に釘付けにできると考えたのではないか。もしそうなら、彼らの目論見は成功した。だが彼らは、私がカナビスカップで、今年の自由の闘士の代表として表彰されている事実を、知らないのではないだろうか。このような栄誉は大きな宣伝効果がある。そして大麻解放運動の内外で多くの人々の注意を集めるだろう。
これに加え、今や私は人権活動家としても認識されるようになってきた。これはカナダ政府には分が悪いのではなかろうか?連邦警察と彼らが仕える政府は、今回〝お手玉〟したらしい。私の所有地に対する襲撃は、全世界に彼らが本当は何をしているのか晒すことになり、それを曝露するのに、今私は絶好の立場にある。連邦警察は、自分達がいかに偉大な警察組織なのか誇示しようと、スタンドプレーを常に愛してやまない。だが今や私は、彼らとその主人に厳しい光を当て、誠実で開かれたやり方で、その真の姿を世界に晒すチャンスを与えられたのだ。その達成には更なる時間と努力も必要とはなろうが、この本がカナダのシステムと、他の世界規模で支配を行うシステムの真の姿を、世の中に知らしめる一助となるだろう。
多くの割合で人々は既に、この薬に何ができるか、そしてどうやって作られるかを知っている。ここまで来てシステムは、どうやって立ち現われてくる真実に、蓋をするつもりなのだろう。彼らの虚偽と欺瞞を打ち砕く時限爆弾はカウントダウンを始めた。もし何年か前に、彼らがこれを知っていたら、鉛の欠片が私を黙らせ、こんな事は起こらなかっただろう。システムはこの件に関し、明らかに好機を逸したのだ。もし今、私に何か起これば、彼らにとって事態は悪化するだけだ。この規模の事象が、自分達に直進して来るのを捌けない所を見ると、彼らの腐敗も、言う程しっかり組織化されてはいないらしい。今やあらゆる所から真実が噴出している。人間性に対する犯罪の責任がある者達は、逃げも隠れも出来ないことを知るだろう。カナダ政府のように、世間から真実を隠し続けてきた者達を、人々はどう見るだろうか。
大多数の民衆は、このボンクラ共が何をしてきたか気付いたら、ちょっとは腹を立てるのではないか。恐らく間違いない、だがそうなったとしても、一度で良いから、暴力無しに何ができるか落ち着いて考えよう。彼らと同じ間違いを犯して、より良いものは作れない、だから私の言う事に、真剣に耳を傾けてほしい。私は確かに理性的に事を進められることを願っているが、私や治療を探してきた人々に対して、彼らが何をしてきたかを軽々しく許すつもりはない。私がカナダに帰らなければ、死んでしまうかもしれない人がいるのだ。だが、私が囚われて、死んでしまっては元も子もない。分別ある唯一の道は欧州に留まり、ここから奴らをKOすることだろう。
カナビスカップ最終日、襲撃のニュースは野火のように広がり、多くの人が、起こったことに対し嫌悪を露わにした。アーリアンは彼の会社から私に、種の提供を申し出てくれていたが、我々二人とも忙しすぎて、カップの後会えなかった。だが、T.H.シーズが私に彼らの新しい品種の種をくれた。その後、DNAシーズの展示ブースで立ち止まり、様々な種類の大麻を見ていたのだが、カウンターの後ろにいた若者の一人が「リック・シンプソンでしょ?」と訊いてきた。私が認めると、彼らは私をカウンターの後ろに案内してくれた。このグループは素晴らしかった。
DNAシーズのオーナーとその妻が来ており、私に今後の計画を尋ねた。彼らは既に襲撃の事を知っていたので、私はカナダに戻る気が無いことを伝えた。ヨーロッパに留まって、こちらから戦う方が、理に適っている、と彼らに自説を述べ、できればこちらで大麻を幾らか栽培したいものだと付け加えた。これが魔法の言葉だったのか、彼らのブースを去る前に、何千ドルにも値する彼らの最高品種の種子を、持ちきれない程頂いた。私はDNAシーズの人々の心意気に本当に感謝を示したい。そして彼らの種が既に播かれ、人々の命を救っている事をここに報告する。
カナビスカップにいる間、多くの人が私の背景を理解してくれた。私は多くの業者と話したが、そこにいたブリーダーは既に私の名前を冠した品種を、カップの前から準備していた。私は自分が思っている以上に、ある特定の人達のグループで有名なようだった。大麻解放運動に関わるこんなに沢山の人々に支持されるのは、本当に素晴らしいことだ。少なくとも、もうそんなに孤独を感じることは無かった。
私はマイナス30度でカチコチに凍った水の上を歩いたことはある、だが、スティーブ・ヘイガーが私に、自由の闘士賞をくれた夜、もしかしたら本当に水の上を歩けたかもしれない。私があの有名な海賊帽を頭上に頂いたとき、その場にいた数百人の人々の支持が実感できた。この帽子を被ってきたジャック・ヘラーやエディー・レップのような人達と肩を並べることは、過分な栄誉ではあるが、悲しいことに、この栄誉は多くの受賞者にとって非常に高くついてきた。ジャックは私に32回大麻で投獄されたと話し、エディーは10年の刑が確定したばかりだ。どうやらこの話題に関して、真実を話し始めた人間のほとんどが、刑務所送りになっているようだ。少なくとも今、システムは最早その二枚舌でこの薬の使用から、サイドステップで逃れることはできない。彼らは真実に包囲され、この薬の使用に対する支配と規制が続けられる日数は、カウントダウンがはじまっているのだ。
地元では、フリーマンオンザランド運動の面々が、私の所有地で何が起こったのか調べ始めている。このフリーマン云々に本当に力があるのなら、カナダ政府は将来的に非常に答え辛い質問をされることになるだろう。事態は錯綜していて、自分の立ち位置を正確に知るには時間が掛かりそうだが、私が見知らぬ土地で小馬鹿にされているとしても、自分は未だ、まあまあの立場にいると思う。遅かれ早かれ、我々の眩惑的なリーダー達は、この件と自分達の失望に直面せざるを得なくなるだろうし、この規模の事象をそんなに長く秘匿できるものではない、と直ぐ知ることになるだろう。多分今度こそ、私は全世界に、誰が本当の犯罪者なのか、明らかにできるはずだが、それにはやらなければならないことが山積している。
アムステルダムを離れる時は、本当に心が重かった。次は何が起こるのだろうか?スコットは襲撃に対して、完全に嫌悪を露わにしていたが、カップ終了日の翌日にカナダに帰国した。私は彼とチームを解消しなければならないのが、本当に残念だったが、言っても詮無いことだ。別々の道を行く時が来たのだから。私はイェンツェフとミランと共にオーストリア、ウィーンで開催されているCultivaカルティバに向かった。そこで講演の予定が組まれていたのだ。カルティバは毎年開かれている巨大な大麻イベントの一つで、ここヨーロッパにはカナビスカップ以外にもこの様なイベントが、各国で無数に開かれていると教えられた。私はカルティバを大いに楽しんだ。数多くの講演や素晴らしい展示があり、全体的な雰囲気も素敵なものだった。アムステルダムでカナビスカップにいた多くの人が、ウィーンに来ていたので、私が既に見知った顔が結構参加していた。
講演の後、ウィーンのピラミッドホテルの外で、都市栽培家のレモと彼の妻を交え、話をした。このインタビューは、私の不在に実行された、連邦警察の所有地に対する襲撃の事実を、世間に広める良い機会となった。私は彼らに対し、この薬がどれだけ有効か説明する必要さえなかった。家族的な付き合いのある彼らの友達が、昨年から癌で死にかけており、オイルを摂りはじめた。レモによれば、彼らの友人はまだ生きており、元気にやっているそうだ。こうして彼らは自分達の眼で魔法を目撃していたのだ。
ヨーロッパに来てから、活動が目白押しで、私はくたくただった。チェコ共和国への最初の旅行ではオイルが提供されていたが、アムステルダムとウィーンは全く別の話だった。アムステルダムを去る前に素晴らしいご婦人が、スペースケーキ(大麻入りケーキ)とハッシュブラウニーを箱でくれたが、悲しいかな、通常大麻食品は私が治療薬として求める強さを持っておらず、これらも例外ではなかった。チェコ共和国に向かう為ウィーンを離れた時には、憔悴しきっていた。頭の中で鳴り響く音に私は殺されそうだった。私は喉から手が出る程、薬を必要としていた。幸運にもオロモウツに着いた時、イェンツェフとミランは私の需要を満たす、出来立てのオイルを供給してくれた。
2009年12月9日、私はカナダの連邦警察から電話を受け、支部の一つに出頭するよう言われた。私はカナダで携帯電話を購入していたので、カナダの番号で登録されていたのだ。これが連邦警察の捜査を混乱させたようで、どういう理由か、彼らは私がカナダにいると考えている様だった。電話を寄越した警官は、彼らが行った襲撃に関して訴追されるはずだから、彼らに報告をするようにと言った。私は即座に、このアホ警官に対し「一体何様のつもりだ」と言い、電話を切った。連邦警察の警官達がしていることから判断するに、もし彼らがカナダの街々から犯罪者を追放したいのであれば、まず、自分達を投獄すべきだ。もしこの本が最終的に、カナダ市民を連邦警察の高圧的な戦術と、大衆操作から解放する一助となれば、執筆時間は無駄ではなかったことになるはずだ。
数日後、私はハリファックスのラジオ局のインタビューを受けていた。そこで彼らが私にどんな罪を着せようとしているかを知った。この時のアナウンサーは本当に知ったかぶりで、私を犯罪者の一人であるかのようにまくし立てた。彼は絶対的に連邦警察の味方だったが、私が本当は何が起こっているのかを話し、彼の誤りを正すと、急に納得したのだろう、彼は静かになり、断然敬意を示すようになった。私は自分が訴追されようとしている事案の一部がどうしても理解できなかった。話によると、私の家には30kgの大麻が存在していたそうだ。これは全くの出鱈目だ。加えて、連邦警察はブービートラップを発見し、勇敢な警官達は家宅捜索の最中、生命の危機を感じたのだとも言われた。アナウンサーは規制対象銃器が私の家で発見されたとも言っていた。当然のことながら、このうちのどれ一つとして真実ではないが、一体連邦警察はこれで何をしようというのだろうか。ここまでくると彼らが私を嵌めようとしているのは疑いようが無い。だが、彼らは本当にこの嘘八百で自分達の計画をやり抜けられると思っているのだろうか。
彼らの言動と、彼らが私を何で訴追しようとしているかに、本当に開いた口が塞がらなくなってしまった。カナダ国民の為に働くべき組織が、どうしたらこんな心得違いができるのだろうか。まあ実際、私は既にその答えを知っていると言ってもいい。過去に私の仲間が連邦警察に入ろうとしたが、彼らの申し込みは却下された。どうやらこの組織は自由な思考をする人間や、知性に溢れる人間は欲しくないようだ。個人的に知っている二人の警官が私の所有地を襲撃したが、本当に、こういった法律と理念の支柱達が私を嵌めようとしているのだろうか。私はこの二人の警官や、汚れ仕事をさせるために連邦警察が雇った人間達に、一抹の幻想も抱いていない。彼らに何かさせるには、充分な金を払い、自分達を重要な人間なのだと感じさせてやるだけでいいのだ。そうした状況に置かれると、最早善悪は問題ではない。彼らは何だってするのだ。彼らの行動は、信用ある地位にある他の大多数と同じく、何もせず人々が斃れるにまかせ、我々の世界に悲嘆をもたらしている。つまるところ、当時の私の心境は「どうかカナダ国民に、神のご加護のあらんことを。」これだけだった。